皆さん、こんにちは!そして、こんばんは!コピーライターのMです。還暦を過ぎたせいか、この頃、つい昔のことを懐かしんで思い出してしまいます。辛いことも随分あったはずなのに、思い出すのは楽しかったことの方が多くて、何とも不思議です。

今日は、私を鍛え、育ててくれた、4人の師匠についてお話します。ご興味のある方は、どうぞお付き合いください。


私をコピーライターに導いてくれた師匠。


まず最初の師匠は、宣伝会議コピーライター養成講座でお世話になった電通の岡田耕さんです。まだ大学生でコピーライターの卵にもなっていない、私の“微々たる可能性”を最初に褒めてくれました。この師匠と出会っていなければ、私はコピーライターになっていないと思います。


私は養成講座に通うまで、広告について全くのド素人でした。しかし、コピーライターになりたいという気持ちは人一倍強く、一回も休まず養成講座の一般コースを受講していたのですが、毎回講師から出される課題の評価はどれもイマイチでした。


一般コースの講義も残り少なくなり、このままコピーライターを目指して本当に良いものかと悩み始めていた時、岡田さんが出された課題で「このコピーの考え方、切り口は素晴らしい。きっと良いコピーライターになれるでしょうね。」と受講生の前で話され、はじめて良い評価を受けたのです。


その気になった私は、専門コースへ進むことを決意!迷わず岡田さんのクラスを選びました。あっ!河田卓さんにも褒めらたことがあります。私、褒められると、すぐ勘違いするタイプなんです。


その勘違のおかげで、幸運にもコピーライターになった後、お会いしたのは2、3年続いた岡田クラスの同期会と、私が卒業生として養成講座で一度講義をした時ぐらいですかね。そうそう思い出しました。岡田さんから2度ほど突然電話が掛かってきて、電通系列の広告制作会社に転職しないかと誘われ、何回かお会いしています。


いずれもグラフィック広告専門の制作会社だったのでお断りしましたが、中村禎さんや神谷幸之助さんのように電通本体に誘ってくださったら、二つ返事で転職したのにね。残念ですw


ご本人に直接聞いてはいませんが、確か新潟のご出身で、年齢的に昨年亡くなった私の父と同じ高校の同級生または1年先輩にあたるのではないでしょうか。私の勘違いでしたら、お許しください。

もう随分と前になりますが、岡田さんの訃報を電通報で知りました。あの時、私を褒めてくれて、本当ありがとうございました。


ちょくちょく飲んでは相談にのってくれた師匠。


次の師匠も同じく養成講座でお世話になった電通の石田勝寿さんです。岡田さんがお忙しい方だったので、よくピンチヒッターで専門コースの講師をなさっていました。石田さんとはコピーライターになってからも、ちょくちょくお会いして飲んでは、コピーのアドバイスを受けたり、転職の相談にのってもらっていました。

私が最初に勤めたナショナル宣伝研究所(通称:ナショ研)を辞めて東急インターナショナルに移る時も、またレオ・バーネット、JWTに転職する時もご相談しています。残念ながら、ひょんなことから行き違いが生じ、もう20年以上お会いしておりません。早期退職なさり、東京経済大学の講師などをされていたようですが、お元気でいらっしゃることを願っております。


コピーライターの基本を叩き込んでくれた2人の師匠。

あと2人の師匠は、ナショ研で先輩コピーライターだった福永晴雄さんと、コピー部部長の島田孝一さんです。最後にお会いしたのは5年前でしょうか?当時グループCDだった京藤洋一さんのお通夜の席です。


福永さんからは、よく「明日の朝までにコピーを100本は書いてこいよ!」といわれました。いざ必死で100本書いたコピーを見せると「ダメだな!」の連発。その後で「これと、これは、面白いと思うよ。でも上(社長)を説得できないかもね。」「この切り口で、もう少し考えてみたら?」などとアドバイスをしてくれました。
ゴミコピー
また、新人の時は、福永さんの広告原稿をリライトすることも多く、当時“ナショ研調”といわれていた文体がカラダに染みつき、未だに書いていると、ときどき顔を出すんです。昔はそれが嫌で、色々な文体で書くようにしていましたが、今では一つの武器になっている気がします。


仕事が終わると、毎晩のように「ちょっとメシ食って帰るよ!」と飲みに誘われ、同じ説教と愚痴を聞かされるのです。そして、いつも「明日の朝までにコピー100本だからな!」と言い残して帰っていきます。


今なら完全に『パワハラ』ですよね。でも、その当時は「これも修行だ!」と、そんなに嫌でもなかったです。ただ、たまに高い飲み屋に誘われて「ここは割り勘な!」と言われたと時は、さすがに腹が立ちましたがねw


島田さんは温厚な方でしたが、妙に頑固なところもありました。一度コピーの「てにをは」でクライアントと揉め、電話口で激高していたことを思い出します。松下電器と旭硝子の企業広告/技術広告をメインに担当されており、難しい製品や技術を説明するボディコピーがとても上手かったです。

私も松下電器の企業広告を一部担当していたので、文章の組み立て方や切り方、言い回しなどを厳しくチェックされました。島田さんと一緒に取材に行くことが多く、取材先に対する礼儀作法から、聞くべきポイント、取材後の情報整理の仕方など、色々と学ばせていただきました。


そんなキッチリとした島田さんですが、私と同じように『校正』が余り得意ではなく、2人して“ザルのように穴の開いた校正ミス”を繰り返すので、営業部長から『大ザル、子ザル』と呼ばれ、良くからかわれていました。ちなみに、私は今も校正が苦手ですw


師匠!不肖の弟子ですみません。


こんな素晴らしい師匠に恵まれた私ですが、弟子として唯一心残りがあります。それはTCCの会員になれなかったことです。4人の師匠はTCC会員で、岡田さんは審査員でもありました。残念ながら、私はTCCに関しては、準新人賞が2回で終わっています。


30歳ごろまでは毎年応募していたのですが、クリエイティブディレクターになったのを機に応募するのを止めました。その代わりというわけではないですが、他の広告賞をそれなりに貰っている方だと思うので、この不肖の弟子をお許しください。


こんな不肖の弟子ですが、私にも4人の弟子がいました。折を見てその弟子についても書きたいと思います。もしかしたら、私の弟子と思っていない者もいるかも知れませんがね。


 最後までお読みいただき、ありがとうございました。これからも私が経験してきた広告業界にまつわる、『あれやこれや昔の話』もアップしていきますので、宜しくお願いいたします。

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